急ピッチな展開には驚くが、10年以上前から不可避に思えた結末
アフガニスタンで急激に情勢が変化している。8月に入ってからタリバンの攻勢が強まるなかでも、まだ停戦・安定化への望みはあるという報道(It might still be possible to save Afghanistan:8月14日、The Economist)もあったり、今すぐという切迫感はそこまで強くなかったように感じていた。
表にでていた中では、最も悲観的なトーンでも以下の引用のように、アフガニスタン政府の崩壊やカブールの陥落は仮に不可避であったとしても、もう少し時間があるというものだったと思う。
”A leaked US intelligence report this month had warned that the western-backed Afghan government could collapse within 90 days of US troop departures.” (BBC News)
このギャップは現地のアメリカ大使館や軍関係者は、状況がずっと悪いことを把握していたにも関わらず、立場上言うことgできないというポジション・バイアスによるものなのか、純粋にここまで切迫しているとは認識をされておらず、関係者にとっても驚きであったのか、今後の分析を待ちたいところである。認識していたのであれば対応が遅すぎるという批判が加えられるのだろうし、認識していなかったのであれば情報収集・情勢判断能力に対する批判が出てくるのだろうから、いずれにしても関係者にはつらい局面になりそうだ。
引用元のBBCの記事は、過去の米軍司令官Gen Stanley McChrystalやGen David Petraeusは、10年以上前から現地の情勢が米軍のプレゼンスによってしか安定しないこと、この米軍のプレゼンスは人的な面でも資金的な面でも膨大なコストを要求してきたことを示唆してる。当面は、今というタイミングでの撤退の判断(これについては前大統領の時代に決められたこと)や仕方について議論が盛り上がるのだろうけれど、「後だしじゃんけん」の批判を恐れずにいえば、ターニングポイントは最初にアフガニスタンに侵攻すると決めた段階、あるいは初期の軍事行動を終えて持久体制に入る段階での情勢判断と対応にあったように思える。
米国大使館からの緊急避難などが取りざたされており、1975年のサイゴン陥落、およびベトナム戦争と比較されるのは理解できる。現地政府が国民の信頼を得られなかったこと、ゲリラや民兵のような軍事組織とは出血を伴う持久戦を強いられることになり、メンタルも含めた継戦能力が求められること、そして達成したい戦略的目的が当初はあったにしても時間とともに不明確になり事態の悪化を防ぐことが目的化してしまったこと、なども胸中店としてあげられる。
西洋的な価値観や民主主義という政治体制が普遍的でより理想に近いというイデオロギーが、少なくともそのイデオロギーの受け皿となる統治体制を国民に信頼される形でつくることができなかったことについては、そもそも先進国の中でも民主主義が期待されたように機能できているのか、という問題意識とあわせて考えてみる必要がある。結局のところ、イデオロギーは、それを体現化する手段があって初めて機能するのであって、現実主義者のまなざしを徹底して持ち、理想と現実のすり合わせを常に意識することによってしか問題を有効に解決することはできないのだ。
教訓1:リアリズムを徹底する
孫子にある「彼を知り己を知れば百戦殆からず。」というのは当たり前のように思えるが、現実の事例について考えるとしばしばこの名言に思い至ることになる、という意味で極めて奥の深い原則であると感じる。
ゲーム理論的にいえば、こちらにとって最悪のシナリオになるような手を敵が常に選択し続けることを前提に、最悪のシナリオにおける結果が自分にとって一番ましになるような手を選ぶことがまず第一歩である。
囚人のジレンマの例にあるように、この結果は往々にして全体最適な結果につながらないのだけれど、全体最適という理想が達成しうる、という幻想・仮定を排除することができる。また、このプロセスを踏むことで、否が応でも各ステップで状況を変化させていくための敵の能力と自分の能力を見積もらざるを得ない。これは、まさしく「彼を知り、己を知る」プロセスであるし、現実と理想をすり合わせにつながっていく。
また理想は、正しいが故にそれが実現するとは限らない、ということも肝に銘じておくべきだろう。そもそも正しいかどうか、自分の信じる理想に普遍性があるかどうか自体が問題だし、世の中には実利も含め多くのファクターが存在するのだから。従って、情勢判断にあたっては価値観を徹底的に排除することが必須である。
アメリカの国防総省の総合評価局や、アメリカ議会の議会予算局(CBO)は、非党派的(Bipartisan)立場からそれぞれの分野における評価を行うテクノクラート集団であることを求められている。政治・イデオロギーと切り離し、政策提言を行わないかわりにバイアスを持たないことを存在意義とするアナリストのグループを組織することができないだろうか。
教訓2:時間軸を意識し、戦略レベルでのゴールを明確にする
緒戦で敵の戦意をくじけばなんとなのではないか、との希望的観測に依った第二次世界大戦における日本軍と同じことが、今回言えるのかもしれない。戦術的目標は短期的であり具体的なものが多い。一方で、戦術的な目標を達成したあとの情勢が持続可能なものであるのかどうか、というのは別問題である。このため、戦略レベルでの目標を明確にし、各段階で戦略目標実現にいたる過程に引き続きのっているのか、あるいは修正不可能なほどに逸脱しているのか、といった評価ができるようになっている必要がある。
インプットをつぎ込むことが何かをしているという満足感やアリバイづくりにつながることが多いけれど、出口を明確にしないインプットは無駄に終わることが多い。戦略目標からの大きな逸脱が発生した場合、適切な評価と修正を加えない限り、現状維持を目的とした自己満足に陥るリスクが高い。
アフガニスタンのケースでは、当初の軍事的勝利と、選挙を経た「民主的」政権樹立という過程を経て最終的に何を実現したいのか、またそれが実現できたかどうか、どう測るのか、といった点が明確にされていれば、その実現可能性の評価もよりげ現実的に行われていたのではないか。と後講釈ながら感じるのだ。
また戦略レベルでのゴールは軍事的観点だけでは設定できない。現在のコロナ禍にあって、医師を中心とした専門家グループが感染者数(という中間的変数)を減らすことを目的とした提言を行い、それに世論が引きずられる様は、戦術的目標と戦略的目標の取違いという観点でみれば、軍人の意見に引きずられて総合的な視野を欠いたまま戦争に傾斜していくのと類似点があるように思える。
教訓3:ロスカットやExit戦略の重要性
投資においては、しばしば買いの判断よりも売りの判断の方が難しいといわれる。これは新たに資産を購入するときは比較的ニュートラルな立場で考えることができるのに対して、一度保有した資産を売るタイミングを考える上では、買っていて利食いをするにせよ、負けていて損切をするにせよ、心理的なバイアスがかかってくることも一因だ。
出口は大きく分けて三つしかない。
- 戦略目的を達成したので、行動を終了する。
- 戦略目的の達成に失敗したり、コストが許容範囲を上回ることが予想されるため、行動を終了しダメージコントロールする。
- 状態が膠着に陥ったり、時間が経過しすぎたため、方針を転換する。
二番目と三番目のケースは目標を達成できていないという点では同じだけれど、その時点でのコストの大きさという点で違いがある。まだまだ漫然と続けることができてしまうのが3番目のケース、刻々とコストが嵩んでいくために判断を強いられるのが二番目のケースと言える。もちろんこの区別は厳密なものではなくて、三番目のケースを放置していたら、気づいたら部二番目のケースになっていた、というのはよくあることだ。
目的達成のケースはよいのだけれど、目的が未達成のケースでのやめ時は難しい。だからこそ、行動を開始する前に辞め時をイメージしておくことが大事なのだということを実感させられる。
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