現状のまとめ
前回このテーマについて投稿したその日に侵攻が始まってしまった.当初のロシアによる侵攻の動きは、ほぼアメリカが事前に予測し随時発表していたものと重なっており、アメリカのインテリジェンスの底力を感じる。アフガニスタン撤退時の混乱によって損なった信頼を取り戻した感がある。
以下の報道にあるように、こうした情報は随時ウクライナ側に伝えられており、ウクライナ軍が防衛する上で助けになっているようだ。
一方で、当初の下馬評ではロシア軍は圧倒的な戦力で数日中にもキエフを陥落させるといわれていたものの、開戦後1週間以上がたつ現時点でもまだキエフのみならず攻略対象になっているほとんどの都市が持ちこたえている。
ロシア軍は、48時間以内にキエフを陥落させることを前提に3日分だけの食料をもって国境を越えたが、予想外の抵抗に燃料・食料・弾薬の補給が滞り停滞しているといわれているほか、戦死者、戦車ほかの軍用車両に加え、軍用機・ヘリにも想定を大幅に超える被害を出しているようだ。
ウクライナ側の発表では現時点で累計11、000人のロシア兵の死者とのことだが、ロシア側の言い分は498名の戦死者と1597名の負傷者と大きく乖離している。西側の観測筋によれば、実態はロシアの数字ほどは小さくないということのようだ。
Putinの主張する大義名分
- NATOの東方拡大によりロシアの生存権が脅かされていることに対する自衛である。
- ウクライナは歴史的にロシアと一体性を持つ特殊な地域である。
- これはウクライナへの侵攻や戦争ではなく、特殊軍事作戦である。
- ロシア系住民が現ウクライナ政権(ロシアはナチと呼ぶ)により迫害されていることへの人道的対応である。
- ドンバス・ルガンスク人民共和国の求めに応じて、彼らを助けるために行っていることである。
他国にいる自国民(あるいは自国系の人)の保護などをうたうのは、北清事変、シベリア出兵などの例にあるように実力をもって権益を拡大したい側がつかう常套手段であるから、下の3つはプロパガンダとみなすべきだ。
したがって本質は「ロシアにとってウクライナを影響圏下にとどめておくことはロシアにとってのレッドラインである。ロシアの権益が脅かされる場合には、実力をもって対抗する。」という点にある。
この点だけとれば、問題の性質は台湾に似ていると感じる。
ロシアの言うことをどう受け止めるのか。
Putinは「ウクライナ政権はナチだ、」、「これは戦争ではない」といったプロパガンダは別にしても、重要な点で、事実と明白に異なることを主張してきている。
- ウクライナに侵攻する意図は無い。(1月11日)→ 侵攻した
- 民間人は標的にしていない。→ 学校や病院、住宅などを砲撃したり、爆撃したりし始めた。
Putinの言うことは一切信じることはできず、その行動によってのみ判断をする姿勢が必要だ。
西側の姿勢
開戦前夜と比較すると、西側の姿勢は非常に硬化した。イギリスが強硬視線の先陣を切ったほか、ドイツも開戦後数日にして大きく舵をきったように見える。現時点では、
- ドイツも対戦車、対空ミサイルなどの武器の供与を始める。
- NATO内に存在する旧ソ連製の軍用機をウクライナに引き渡す検討がはじまる。
- ロシア中央銀行の資産凍結、ロシア資産の取引停止
- NORD2(ロシア・ドイツ間のガスのパイプライン)の承認中止
- ロシアからの企業撤退、航空機の締め出しなどによる経済的封じ込め
- 貨物船によるロシアとの間での運搬の制限
- Putin個人および一部のオリガルヒに対する制裁
などが行われた。この一方で、ロシアからのエネルギー購入についてはロシア産原油の引き取り手が少なくなるなどの自主的な動きはあるものの、禁止はされておらず、今も毎日大量の天然ガスを購入している。
以下が一層の対抗措置強化策として考えられる。
- ウクライナ上空をNATOがNo-Fkyゾーンに指定する。
- ウクライナに対する武器、食料などの一層の支援
- ロシアからのエネルギー購入の中止
No Flyゾーンの設定はリスクが高すぎ、現時点では議論の対象にはならないし、武器・食料の支援は帆ポーランドとの国境をまたぐ補給線が確保されている限り徐々に拡大していくだろう。したがって、残る焦点はエネルギー購入の中止ができるか、という点にある。
現在の、「自分が直接相手を殴る以外のできる限りの対抗措置をとる一方で、エネルギーの輸入だけは通常通り行い、その一方でエネルギーの代金としての支払いはするものの、それが使えないようにできるかぎりの金融的措置をとる。」という状態は持続可能とは思えない。この点については今後1-2週間のうちにある程度の進展があるのではないだろうか。
人間がつくりあげた「虚構(フィクション)」への挑戦と、その限界
ロシアがウクライナに侵攻することでウクライナの国としての主権と、国民が主体的に自分の進む道を決める権利を侵したことは間違いない。また、民間人を狙った攻撃や、原発に対する攻撃も許されるものではない。これらは、国連憲章や国際法違反であり、この点で不正義である。と断罪されるべきだと結論づけるのは容易だ。
けれど、こうした表面的な整理は思考停止であり、もう少し掘り下げて考える余地があるように思う。
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス前‘史」によれば、人類の繁栄に決定的な役割を果たしてきたのは、「現実には存在しない虚構(フィクション)を信じ、語ることのできる能力」であった。我々、少なくとも西側社会が神聖なものとして受け入れている、基本的人権や、国の主権、といった概念もハラリの言うところの虚構に相当する。
国の主権とはユヴァル・ノア・ハラリのいうところの「虚構」である。
国の主権を考える際の暗黙の前提は、現状を基本とする、ということだろう。
- 現時点でのスナップショットでなくて、過去からの時間軸全体を踏まえて、その地域がどこの国に所属するべきかが決まるべきだ。
- 民族の分布と、国境線が一致しないときに、国という単位を重視する代わりに、民族という単位を重視すべきだ。
という考え方だって存在しうる。
本来は、こうした歴史的・生来的なくくりと、国境が一致していればよいのだけれど、必ずしもそうなっていないばかりか、バルカン半島や中東のように歴史的に複数の勢力が同じ地域に強い影響力をもっていたために、同じぐらいの主張を持っている場所も存在する。
「現状を基本とする。」というのはにおいて安定をもたらすための知恵だ。けれど、現状に不満を持つ勢力が相対的に力をもったとき、国境線を書き換えることで自分の信じる世界観を実現させたいと考えるのは(残念ながら)自然なことだ。
また、この行為により国境の書き換えが成功して定着してしまえば、今度はそれが新たな主権の及ぶ範囲の定義になっていく。現在の体制はほぼ第二次世界大戦、そして冷戦の終結の結果としての線引きであり、たかだか80年の歴史なのだ。
国の生存権・自衛権と、国の主権
「自国の生存権が侵されるから、他国を攻撃・侵略せざるを得ない。」というロジックが使われることは決して珍しいものではない。
今回のロシアによるウクライナ侵攻に限らず、アメリカによるイラク侵攻、アフガニスタン侵攻もそうだし、日本にとっての太平洋戦争、イスラエルによる第三次中東戦争もそうだ。
こうした行為が後にどう評価されるかは、実際に生存権が侵されていたかどうかにも増して、戦争開始時にどちらが大勢だったか、そして勝敗の行方によって、決まるのが現実だ。
人権も虚構であり、絶対的なものではない。
倫理的、道徳的な観点から人権は極めて重要であり、これを守るべく最大限の努力がなされるべきだという点に全く異論はない。しかし現実社会における人権という概念は、人々が安心して幸福を追求できるように、近代西洋社会が築き上げてきた一つの枠組み・フィクションに過ぎないという点も忘れてはならない。
現実の世界において、個人の権利と集団の利害が一致しないとき、しばしば集団の利益が人権に優先されてきたのが歴史の教訓である。特に権威主義、全体主義的な国家においては、こうした人権を尊重する姿勢は希薄である。
余談になるけれど、個人と集団・社会の関係において、個人・自我を極めて強く重視する西欧と、社会・集団との協調性を個人の自我の発露よりも重要視する日本における人権感覚も大きく異なる。西欧的に言えば、「空気を読まない。」ことが批判されること自体が、個人という存在の軽視に見えるのだから。
Putinの世界観においては、人権よりも国益が優先される。
人権と国の主権の尊重は時に対立する
ある国において、一部の人と、それ以外の人が極めて異なる世界観や立場を持っているとき、対立や、多数派による少数派の抑圧が起こることがある。これらが激化すれば、内戦や虐待・虐殺に至ることも珍しくない。たとえば古くはナチス・ドイツにおけるユダヤ人、中国におけるチベットなどがこれに該当するだろう。
こうした事態が激化し、人道的な危機として看過しえない状況になったとき、他国がこの内戦に干渉することは、国家主権の侵害であるけれど、肯定しされる場合もありえるだろう。
人権や主権といった概念は、とどのつまり人間がよりよい社会を築くための方便として人類の叡智として築き上げてきた虚構であり、人がつくったものとしての限界がある。定義があいまいであったり、お互いに衝突したり、他のフィクションとの競争関係にさらされたりするのだ。フィクションの重要性に加えて、限界を理解したうえで、これを守り発展させていくことが重要だ。
Putinが目指しているのは、このフィクションの書き換えである。
Putinは、西欧的価値観や、冷戦後の体制を受け入れることを拒否し、実力をもってこのフィクションの弱体化を狙っているし、彼の試みが成功すれば、このフィクションの力は大きく損なわれることになるだろう。
従って、このフィクションの中で繁栄を享受することが許されているすべての国はステークホルダーになっていることを自覚するべきだ。
また、アメリカをはじめとする西欧諸国にとっての戦略的目標は、こうしたフィクションを書き換えることによってではなく、このフィクションを受け入れてその中で適応することが最も得策であるということを世界中に受け入れてもらうことである。
このためには、こうした書き換えの試みが成功しないだけでなく、そのコストが非常に高く試みた結果得られるどのようなメリットをも遥かに凌駕することを確実にすることが必要である。この一方で、ウクライナにおける戦術的な敗退や、人命の損失、一定の地域の喪失などは、必ずしも致命的では無い。
ドライな言い方だけれど、これがリアリズムであり、翻っていつ日本がExpendableになってもおかしくないという緊張感の中で、戦略的に備えていくことが求められる、という教訓でもある。
コメント