予備選のすすめ

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政治に対する不信はどこからくるか

人間は、短期的には感情に流さることもあるけれど、中期的には結構合理的な判断をするのではないかと思います。

ここでの合理的な判断とは、「自分にとってメリットのあることをする。」といった意味合いですが、メリットは金銭的なものである必要はなく、名誉・気持ちよさ・その他あったら嬉しいものであればなんでも良いのです。

したがって、人がおかしな行動をするとしたら、その人が不合理である、と決めつける前に、「その人が評価される仕組みが歪んでおり、その人はゆがんだ仕組みの下で最適な行動をしている。」可能性を検証する必要がありそうです。特に伝統的な企業においては、かつては適切だった会社内の人事評価システムが時代にそぐわなくなった結果として、構成メンバー(社員)の努力の積み重ねが業績につながらない可能性について、より喫緊の課題として取り組む必要がありそうです。

衆院選挙が近づいていますが、与党・野党をとわず、ピンとくる政治家は多くありません。ただ政治家の資質や行動に関して批判することは簡単だけれど、必ずしも政治家が馬鹿であるとは思えません。従って、彼らの資質を問う前に会社における人事制度と同じように、政治家が議員に選ばれる枠組みに問題があるのではないかと考えてみたいと思います。

政策そのものに対する批判を別とすれば、政治家に対する不信感・批判は、

  • 長老支配や、内輪の論理が優先され、国益を考えていない。
  • 国民全体に奉仕するかわりに、利権の維持・拡大を優先する
  • 私腹を肥やしているとの不信感
  • お互いをかばいあい、悪いことを悪いといわず隠ぺいする

などの点に集約されそうです。こうした批判が実際に的を得ているか、という点はおいておいても、こうした不信感を多くの国民が持っており、国民と政治家の距離が著しく乖離していること自体が大きな問題といえます。

これらの問題点は、

  • 政治家の人事に対して公認権を持つ党の幹部や派閥の長の評価を意識して行動する。
  • 原則として、現職がそのまま選挙区を維持する仕組みになっており、人事がよどむ。結果、村社会ができ停滞する。

の二つの要因によるところが大きそうです。従って、どうしたら人の入れ替えを担保し、それぞれの議員が党内の幹部ではなく国民の目を意識して行動せざるをえない仕組みをつくるかがポイントになります。

ここで、参考になるのが米国で行われている予備選の仕組みです。

予備選とは

アメリカを例にとると、共和党、民主党それぞれ、大統領だけでなく、連邦上院議員・下院議員選挙の候補者は、予備選・ないし党員集会における選挙によって選ばれることが一般的です。

予備選においては現職の議員が強いのは事実ですが、他の党員・新人が現職に対抗して予備選に立候補し、現職議員を負かしたうえで本選挙に臨むケースも起きています。また予備選に至る前に、支持を失ったと感じた現職議員が引退し次世代の候補者に席を明け渡すきっかけにもなっています。

予備選を行うことで、

  • 候補者が選挙区の党員の意向により敏感になる。
  • 党中央の有力者による縛りが弱くなる。
  • 地盤や看板を譲ることができなくなり、候補者の多様性が確保できる。
  • 人材の新陳代謝が活発になる。結果として、よどみや、しがらみも減る。
  • 政党への参加により実体的なメリット、候補者選びへの影響力、が備わるため国民が政党に加入し政治への関心を強めることが期待できる。

といったメリットが見込めます。これらのメリットは、現在の日本の政治にもっとも必要なものではないでしょうか?

もっとも予備選は良いことばかりではありません。投票によって一人を選ぶプロセスは、ともすればわかりやすく、より過激な意見を言う人を利する人気投票の側面が強くなりがちです。まして、党員のみによる投票ですから、党内の政治活動に積極的な人たち、いってみれば強い意見を持つ人たちの意向が通りやすくなります。

共和党におけるティーパーティーの躍進、トランプ主義の著しい伸長、あるいは民主党における急進的な革新派の躍進など、近年の共和党の右傾化、民主党の左傾化、そして結果としての大きな分断の要因の一つに、予備選の仕組みがあると言わざるを得ません。

党員の間の平均的な思考(共和党は相当右、民主党は相当左)と、キャスティングボートを握る中間層の間の距離が徐々に開く結果として、党内の支持を得られる候補は左右に偏りすぎて中道の無党派層の支持をえられず本選挙に勝てなくなる、といった現象も一般的にみられるようになってきました。

しかし、こうしたデメリットや衆愚政治に陥りやすいリスクを考慮しても、日本の停滞した政治環境を打破するためには、毎回全候補者を予備選挙によって選ぶ仕組みを取り入れるメリットは、非常に大きく思えます。

Democratize(民主化する)ということに本質があるのではないか。

最近よく技術の進化とそれに即した社会の変化といった文脈の中で、”Democratize(民主化)”という言葉を聞くようになりました。技術の発展により、これまでは

  • 一部の人にしか使えなかった技術をみんなが使えるようにする
  • 一部の人たちだけが持っていた情報をみんなが利用できるようにする
  • 一部の人たちだけでコントロールしていたことを、ネットワーキングを通じてより多くの人が参加して決める。

といった意味合いで、少数の人から権限や特権を奪い、その権限や特権を多くの人が分割して保有・行使することがポイントです。

候補者を選ぶという人事を党中央なり県連幹部といった少数の人が決めるのか、選挙区の党員が決めるのか、というのはこのデモクラタイズのとても良い実例だと思います。過剰な権限が少数の人に集中するから、利権との癒着や、周囲による忖度、保身や派閥政治が起きるのだとすれば、権限を分散し、プロセスを透明化してしまえばよいのです。

実際には日本で予備選を導入すれば、複数の派閥がそれぞれ候補者を立てて、各選挙区で争うことになるのでしょう。でも失われたダイナミズムを取り戻すことができるのだと思えば、これとて悪いことには思えません。

ところで、アメリカの議会においては党議拘束がかかることはあまりありません。各選挙区の事情が優先されるため、比較的リベラルな都市圏で選出された共和党議員や、逆に伝統的に保守的な南部などでなんとか勝ち上がってきた民主党議員は、選挙区の事情を反映して中道寄りの政策を支持する結果、主要法案に対して所属政党の多数派意見に反する票を投じることも珍しくありません。特に上院においてはこうした中道寄りの議員がキャスティングボートを握り決定的な役割を果たすことが往々にしてあります。

一気に党議拘束の無い国会運営になるかどうかはわかりませんが、党を代表して立候補する候補者の選出が党の幹部ではなく、選挙区の投票によって決まる仕組みは、議員がそれぞれの信条に基づいて活動をすることを担保するための必要条件であるようにも思えます。

Democratizeの考え方は、地方分権にもつながる

小選挙区において、選挙民の投票によって予備選・本選を勝ち上がる仕組みは、幹部に忖度しなくてよいという点では、政治の透明化につながる一方で、選挙区への利益誘導や、人気取り政策に終始することに対する強いインセンティブをうむはずです。

人は評価される枠組みの中で最適解を目指して行動すると考えれば、ステーツマンシップや国民への奉仕といったきれいごとを並べたところで、制度そのものを改めることを考えない限り、単なる理想論の域をでません。

この問題に対する最適案な解は、国会議員の職務や影響力を真に国政に関することに絞り込むことだと思います。このためには、国の内政に関する権限のうち、地域開発や教育、福祉といった項目については大胆に地方政府に建言を譲り渡すこと、そして地方議員選挙への立候補者選出にあたっても、予備選を導入することで、国会議員が地方議員の選出プロセスにあたって行使できる影響力を抑え込むことが必要です。

言ってみれば、国会や内閣、すわわち国政府に集中している権限を、地方政府に分散化させ”Democratize”することで、権力の集中を抑えることがポイントが重要です。

なお、権限を真に地方政府に委譲するということは、地方政府が政策選択の自由を享受し住民と一体となってよいコミュニティを作っていく権利と責任を負うことを意味します。裏を返せば、選択の結果として生じる結果の違いに対する責任も地方政府が負うことになります。旧自治省、あるいは総務省のような組織が地域間のばらつきを補正するような仕組みも、税収を機械的に(裁量の少ないかたちで)ひもなしで再配分する仕組みなどに限定し、資金の使途などについては一切口を出さない仕組みをつくらなければ、結果として国に権限が残ってしまうことになります。

自由は責任を伴うし、権限の委譲は結果のばらつきを伴うのです。そうでないと、自由や権限を正しく享受し利用するインセンティブがうまれないでしょう。

野党の共闘なんて、予備選をすれば簡単なのに・・・。

自民党一強の中で、選挙が近づくたびに野党共闘や統一候補が取りざたされます。しかし党幹部レベルでの主導権争いに始まり、各選挙区での候補者の一本化に関する綱引きの中で折り合いがつかず、ばらばらのままで選挙戦を闘う羽目になることがほとんどです。

私は政党にとって譲れない信念・政策というものがあるべきだと考えているので、打倒与党、という一点だけで右から左まで野党が統一会派をくもうといった考え方には必ずしもくみしません。一方で、緊張感のある政治のためには、野党により迫力がないといけないのも事実です。

そのためのには、共闘を目指す複数の野党の間で、以下のような取り決めをむすび候補者の一本化を党員の投票にゆだねるというのはどうでしょうか。

  • おおまかな政策の方向性について最低限必要な合意をする
  • 例外なくすべての選挙区において、共闘に参加する各党から最大一人の候補者をたて予備選を行う。
  • 予備選に敗れた候補者は出馬しないという誓約書をとる。
  • 予備選に出馬せず、本選に直接出馬しようとする党員には当選前後を問わず推薦・公認を一切行わない取り決めを政党間で結ぶ。
  • 予備選の勝者を統一候補とし、各党はこの統一候補を公認ないし推薦候補とする
  • 予備選の投票者は、共闘に参加する各政党に属する党員とする

まとめ

つまるところ、政治不信のもとである政治の諸問題は、

  • 人の行動は、どう評価されるかによってきまる。
  • 権力は必ず腐敗するので、緊張感が必要。
  • 新陳代謝がないところではよどむ。

といった普遍的心理に基づく当然の帰結だるとの観察から、権力の分散化、プロセスの透明化と、国民と政治家の間の利害の一致(Interest Alignment)の実現する仕組みとして予備選の導入を提案します。少なくとも、保守よりの信条を持つ政党で、これを党是とする政党が現れたら、私はその政党に投票したいと思います。

一方で、権限の分散化は、その帰結としての「結果のばらつき」を受け入れる覚悟を必要とします。とかく公平という概念に対して過度な要求をしがちな日本の文化にあっては、実は分権化をうけいれるためのハードルは高そうだなとも思うのですが、これについては改めて考察をしてみたいと思います。

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