枠組み
目的を達成するには、目的が明確であり、現在の状況がどのようなものであるかを正確に把握することが不可欠です。これは、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という孫子の言葉からも明らかです。これは最適化理論の枠組みに通じるともいえます。
最適化理論の枠組みでは、問題を目的関数と制約条件の組み合わせとして捉えたうえで初期値を与えます。目的関数は何を目指すか、制約条件は問題が属している世界の仕組み、初期値は解の探求にあたり出発点とする値、すなわち現状を表しています。また、最適化問題の枠組みを意識することは、問題の把握・設定と、その解法を分けて考える手助けとなります。
ここでは、他意はなく問題を解決したいという点については思いを共有するものの、意見に隔たりが大きく堂々巡りになってしまう場合の対処法を考えます。現実には、意識的かどうかは別にして、問題を解決する意思は本当ななく、意見を主張することが重要と見受けられる人たちが多いと感じますが、これについてはまた別の機会に考えたいと思います。
合意を阻む相違はどこからくるか?
ここでは格差の問題を例にとって、最適化問題の枠組みがどのように論点整理に役立つかをみてみましょう。
目的が違う
そもそも目指す方向が異なれば、建設的な会話をすることは難しいでしょう。ここでは、それぞれの人が目指したりイメージしているゴールを、どうやって目に見える形で表現することができるか、に焦点を当てます。それを実現するために何をすべきか、という点は一旦忘れて構わないけれど、目的が非現実的であれば、最終的に「解が存在しない」という結果になる可能性が高まります。
格差をどう評価するか
具体的に考える必要があるのは、まず格差をどう定義し計測するかです。次に、格差の水準をどうスコアリングするかを決める必要があります。
格差の定義のためのインプットとしては、フロー(所得)、ストック(資産)といった要素がすぐに思い浮かぶけれど、定量化できるものであれば、生活水準、購買力といった指標も候補になるかもしれません。次にこうしたインプットが個人、家族といった単位で与えられたときに、ユニバース(グループ全体)としての格差を一つの数字としてあらわす関数が必要です。
よく知られている例はインプットとして所得(F)を用い、ローレンツ曲線と呼ばれる関数をあてはめて計算されるジニ係数です。
こうして計算される数字を格差スコアと呼ぶことにし、格差が全く存在しないときに0、格差が広がるにつれ値が大きくなると仮定します。(ジニ係数はこの仮定を満たしています。)
次に考える必要があるのが、格差の存在をどの程度許容する、あるいは排除するかを、言ってみれば格差が存在することから生じる「損失」をどうとらえるのかを、格差スコアをインプットとし、「損失」をアウトプットとする関数であらわすことです。この関係性は「損失」の度合いに関する主観的な価値判断に直接的に影響を受けます。従って、人によってこの関数の形は異なるはずです。逆に言えば、この関数の形を明示的に示すプロセスを通じて、価値観をわかりやすく表現することができるということです。
関数の形状ですが、格差スコアが大きくなればなるほど「損失」が大きいということには異論は無いだろうから、損失は、格差スコアの単調増加関数として良いでしょう。けれど、格差スコアが2倍なら、損失が2倍なのか、あるいはもっと大きいのかであったり、0から一定の範囲の中の格差の広がりはさほど損失にはつながらないけれど、格差スコアがあがるにつれて、損失の増え方もだんだんと増えてくる(例えば2次関数)のような関係がより妥当と考える人も多いかもしれません。もう一歩進めて、「ある程度を超えた格差はたとえほかにどのようなコストを払うとしても絶対に認められない。」という価値観は、その閾値を超えた格差スコアに対しては損失は無限大になる関数によって表現することができます。
絶対水準と相対水準
目的関数の定式化の重要性を理解するための一つの例として、所得・資産の絶対水準と相対水準について考えてみましょう。
ジニ係数は、格差をグループ内の相対水準の問題として捉えるため、二人の所得が100万円ずつの場合と、500万円ずつの場合では、同じスコア、格差0になります。これに対して、仮に一人の所得が600万円、もう一人の所得が800万円の場合は格差が発生し、結果として損失が増えます。言い換えれば、(600万円、800万円)の社会よりも、(100万円、100万円)の方が望ましい社会だ、と言っているのと同じです。
実際にこういう価値観を持つ人がいてもおかしくありませんが、逆に一定のばらつきの範囲であれば、所得の絶対水準が高い方が望ましい、という価値観を持つ人も多そうです。こうした価値観は、たとえばユニバースの平均所得や資産が上がるにつれ損失が減る、といった特徴を持つ目的関数を置くことで表現することができます。
コストやペナルティ
現実の問題を考える上では、行動や判断に対して、何らかのコストがかかったり、あるいはトレードオフで他の何かをあきらめることが必要になることが往々にしてあります。判断を行う上で、これらのコストやトレードオフを含めるのも、目的関数の役目です。ここでは何をコストと考えるのか、そしてそのコストがどのぐらい損失につながるのか、という価値観を問われることになります。
目指す結果に導くために、この段階でコストやトレードオフを無視したり、軽視したりするインセンティブが働きます。事実に基づいてコストやペナルティの存在と行動との関係性について合意することができるかどうかがポイントになります。
制約条件が違う
最適化問題においては、行動をとる上で、とりうる行動と、とりえない行動の境目をあらわすために制約条件という概念があります。ここでいう制約条件とは、いわゆるハードな制約条件で、解として受け入れられない領域をあらわします。これに対して、受け入れられるけれど、極力避けたいものは、避けたい度合いを指定したうえで、上であげた目的関数の中のコストやペナルティを使って表現することができます。これらはソフトな制約条件と考えることができます。
たとえば、物を買うときの「予算」は制約条件の一つの例です。あるいは、行動1と行動2は矛盾するので、両方の行動をとることができない、といった制約条件もあります。更には、ある種の結果が絶対に許容できない、というビューがあるとき、そのビューを制約条件として表すこともできます。
解き方が違う
目的関数と制約条件に合意ができてしまえば、実は解き方の違いはあまり問題になりません。ある種の条件のもとでは、よく定義された最適化問題は、定義からして合意された問題に即した、合意可能な解をもたらすか、あるいは、「解が存在しない。」という結論のどちらかをもたらすからです。
前者で合意ができないとすれば、それは合意したつもりでいた目的関数や制約条件の含意について、完全には理解しておらず、それが誰かの意図と異なっていたことを意味します。この場合には、どこで感覚と定式化のずれが発生したかを把握し、ずれを補正した定式化に基づいて修正された解を求めることになります。後者の場合には、制約条件を緩めることが必要なケースが大半です。この場合、理想から現実へ歩み寄ることが必要になるでしょう。
主観と客観
最適化問題としてアプローチすることは、相違点のありかを明らかにすることにより、コミュニケーションの効率化につながるはずです。これに加えて客観的な事実と意見を分離することができれば、合意できる範囲の拡大につながるでしょう。
異なる意見を持っていても、事実については合意できる可能性は高いはずです。逆に、事実認識の段階で意見が異なるとすれば、それは情報が不足しており推測に依存する部分がおおかったり、事実とされるものの中に値観や優先順位などの主観に依存する要素が含まれる結果として、主観的なバイアスが関与する余地が大きいからでしょう。この場合には、主観に依存する要素を特定し、対象を細分化し、客観性という基準で見たときの純度を高めることで、合意を達成する可能性が高まります。
事実を事実として認識し共有するためには「Factfullness」という本で使われたアプローチですが、データが役にたちます。例えば、所得・資産について、年齢・家族構成・在住地域・勤務形態・学歴・性別などと組み合わせたデータがあれば、格差の所在やどういったグループの間で格差が存在するのかといったことが客観的にわかります。また、何らかの政策に対して必要な予算の見積もりなども、ある程度客観的に行うことができそうです。
こうした事実の領域に属する「計算」と、それが良い悪い、あるいはその見積もりが許容可能・不可能といった価値判断を意識的にわけることで、より建設的な議論ができるでしょう。
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