With コロナと、Zeroコロナ

目指すところが違えば、対応が違ってるはず。コロナへの対応については入り口のところでボタンの掛け違いが生じてるようにも思えるので、まずはWithとZeroコロナについて整理をてみたい。

目次

概念の整理

Zeroコロナ(ゼロ・コロナ)

一定の範囲において(たとえば日本国内)コロナウィルスは存在を許されるべきではなく、陽性者を0にすることで、コロナウィルスの直接的な影響を排除することを目的とする。ここでは、5年後、10年後ではなく、短期間、たとえば数週間から数か月のうちにコロナウィルス0の状態を実現し、それを維持することを目指すものとする。

一時的に陽性者が発生した場合、陽性者のまわりに焦点を当て、強い抑え込み政策をとることで、ウィルスの封じ込め・撲滅を目指すことを基本方針とする。

実例としては、中国・香港・オーストラリア・ニュージーランドなどは、このアプローチに属すると考えられる。

Withコロナ(ウィズ・コロナ)

ウィルスを0にするのは不可能ないし極めてコストが高いという現実認識に基づき、感染者、死者が一定程度存在するとしても、その影響を許容範囲にコントロールすることに注力し、ウィルスの撲滅そのものは目指さない。

陽性者・重症者・死者の有無ではなく、数に注目し、数が「許容範囲」を超えたとき、あるいは超える兆しが見えた段階で引き締めを行う一方で、許容範囲に収まっている間は制限を緩め常態を目指すことを基本方針とする。

このアプローチは、割り切っていえば「一定程度の死者がでるのはやむを得ない。」ということに等しいので国によっては必ずしも公言されることはない。しかしながら厳密にいえば、ゼロコロナを目指す国以外はすべてWithコロナ政策をとっていると言える。

顕著な実例としては、米国・イギリス・フランス・スウェーデン、南米諸国などなど。

前提条件・想定

コロナウィルスの特性

  • コロナウィルスを検査する方法は相応の精度があるけれど、一定程度の擬陽性・偽陰性が避けられない。
  • コロナウィルスは感染直後はテストで検知されない確率が高まる。
  • コロナウィルスは感染力が高く、陽性でも無症状の人が感染をさせることもある。
  • コロナウィルスが重症化したり死亡につながる確率は、年齢および、基礎疾患の有無と強い相関がある。この一方で、感染のしやすさについては、年齢層による顕著な差は今までのところ確認されていない。従って、感染を減らすのか、重症化を減らすのかで、対応が多きく異なる。

感染のメカニズム

  • 感染は指数関数的におこる。つまり、今日の感染者数がa人で、再生産係数がrであれば、感染者はar、ar^2, ar^3と増えていく。
  • 今日の感染者が100人か、200人かはあまり需要ではない。一定数をこえる感染者数がいる限り、再生産係数が一番重要な要素である。たとえば、再生産係数が1.41の場合、2サイクルたつと感染者数は2倍になる。従って100人か、200人の違いは、2サイクル分の時間の経過で帳消しになってしまう。
  • 従って、感染を抑えるためにあ再生産係数をどうやって下げるか、がポイントになる。ただし例外として、感染者数を0にすることができれば、再生産係数は関係なくなる。

ワクチンについて

  • ワクチンは、ウィルスに曝露した際に体内でウィルスが有意な量に増える(~陽性になる)確率、および感染した後に重症化する確率を下げることに有意に貢献する。(前者については異論を唱える人も多いけれれど、PCR検査で陽性になった人の中でワクチンを受けていた人、受けていなかった人の比率をもとにした統計的分析によれば、ワクチンの感染段階での有効性は証明されてい
  • る。)
  • ワクチンは、感染・重症化する確率を下げる効果はあっても、完全に防ぐわけではない。従ってBreakthoughは必ずおこるし、逆にBreakthroughが発生すること自体がワクチンの有効性を否定するものでもない。
  • ワクチンは、すべて同じではない。Pfizer、ModernaのmRNA型、AstraZeneca,J&J、そしてCinopec、CinofarmのウィルスなどがWHOに承認されているけれど、効き目には有意な差がある。従って、ワクチンの効用についてひとくくりで議論をすることは非効率である。
  • ワクチンの効果は、程度の差こそあれ、時間とともに減少していく可能性が高い。たとえば8月19日付のBloomberg記事”Covid Vaccines Are Less Effective Against Delta, Large Study Finds“では、オックスフォード大学と、イギリス国家統計局による分析に基づき、Pfizerのワクチンの有効性は14日後では92%あるものの、接種90日語伍では78%まで下がると報じている。

人の動き

輸出入に伴う貨物船・貨物機の出入り、自国民の最低限度の出入りも考えると、食料・エネルギー自給率100%で、海外に自国民がほとんどいない(あるいはいても帰国を許さない)ケースを除けば、国境をまたいだ人の流れはゼロにはできない。

エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちは対面型の仕事が多く、社会的距離の維持や在宅勤務が難しい。また、社会の最低限の機能を維持していく上で、相応の数のエッセンシャルワーカーの人たちが働ける環境を維持することは不可欠。たとえば、「二週間、誰も家から出ない。」といった施策は、ウィルスの伝搬を防ぐ観点では極めて有効化もしれないが、現実には難しい。

以下のグラフは、Natureのオンライン版に掲載された論文”Impacts of social distancing policies on mobility and COVID-19 case growth in the US”からの引用。

アメリカではコロナ感染拡大の初期には、州によって強弱の差が大きかったものの、

  • 非常事態宣言
  • すべての学校の対面授業の禁止
  • 大規模な集まりの禁止
  • バー、レストランの営業に関する制限(屋内営業の禁止など)
  • 必要不可欠な産業(Essential Business)に指定されたビジネス以外の停止(食料品、薬品などを扱うお店以外はすべて営業停止など)
  • Shelter In Place(自宅待機命令:認められた自由以外での外出禁止)

といった措置が出された。こちらのグラフは、州によって程度はことなるものの、こうした措置をすべて合わせても人の流れを50%減らすのがやっと、ということが見て取れる。なおこうした措置の多く、特にShelter In Placeは長期的には維持できなかったため、50%というのは瞬間風速的な数字とみてよい。

従って、「人の流れを80%抑えるべき。」といった提言は机上の空論で無責任の範疇に属するものだし、50%の削減であっても極めて強力で強制力を持った措置が必要となる。

ロックダウンとは

しばしばロックダウンという言葉が使われるし、一部調査では国民の大半がロックダウンを望んでいるというアンケートもあるようだ。一方で、ロックダウンとは何を意味するのか、が共有されていないように思える。

民主主義国におけるロックダウンの例として、直近の8月14日~22日にかけて出されたオーストラリア、ニューサウスウェールズ州のロックダウンの例は以下の通りです。

  • 指定された事由以外での外出禁止。
  • 正当な事由がなければ自宅から一定の距離以内にとどまる。住所を証明できるものを携帯する。
  • 小売り施設は、食品、薬品、ガソリンなど指定された生活必需品以外を取り扱う店は営業休止。
  • 生活必需品を買いに行く際には、原則一家族から一人だけがでかける。
  • 二人以上の集まりは禁止。
  • 娯楽施設、パーソナルケアなども営業休止
  • レストランなどは、持ち帰り用の販売のみOK

自粛ではなく警察(+応援の軍隊)の取り締まりの対象となる強制措置であること、ほぼすべてのビジネスに問答無用で適用されること、不要不急といった個々の判断ではなく、何がEssentialか、限定列挙されており強い制約になっていることなどが特徴的です。アメリカのニューヨーク州でも、2020年3月からのShelter In Pace/Stay at home orderが出た期間は同様のルールでした。

なお、感染者数が少数の時のターゲットを絞ったロックダウンは、制限もきつくしやすく感染者をゼロにすることを一定程度期待できるかもしれません。一方で、感染者が広がった中で大規模なロックダウンを、感染者をゼロにできるだけの強度と期間で行うことは難しいでしょう。従って、この場合のロックダウンの目的は一時的に再生産係数を抑え、感染者数を抑えることで、医療機関の逼迫などを防ぐことに置かざるを得ません。

日本では、小池都知事が口にしてから広まり始めたロックダウンという言葉ですが、ここまでの政策を意図していた発言ではなかっただろうし、仮に意図していたとしても日本の法制上は不可能なことは言うまでもありません。にもかかわらず、ロックダウンという言葉が、それに伴う覚悟の度合いを考えないままに、上滑りして広がっていったのは、残念なことです。

ゼロとウィズの中間は存在しない

ゼロコロナの採用にはかならず能動的な判断が前提となるのに対して、Withコロナは不作為や、ゼロコロナ政策の失敗と放棄の結果としてのWithコロナなど、消極的な選択、ないし不選択の帰結として存在するケースも多く考えられる。

換言すれば、ゼロコロナ政策以外はすべてウィズコロナ政策である。また、スローガンとしてゼロコロナを唱えていても、実体としての行動が即していない場合は、これもウィズコロナ政策であると見做すことにする。

ゼロコロナの方法論

ゼロコロナ政策は、やるべきことは極めて明快である。

現時点で境界内でゼロコロナが実現できているのでれば、外部からコロナウィルスが入ってくることを阻止するだけで良い。たとえば日本国内でゼロウィルスが実現できているとすれば、例えば海外との人の往来を完全に止めることができれば、ゼロコロナ状態を維持できることになる。

実際には、完全に往来を止めるというのは、最低限の貿易の維持という観点からも、国外にいる自国民の取り扱いの観点からも不可能に近い。このため、入国者数などに上限を設け、対応できるキャパシティを確保した上で、空港検疫などの水際対策と、その後の隔離を徹底することになる。

検査で陰性の結果を飛行機登場前、および空港の検査で得ていても、検査が100%でない以上隔離が必要、というのはウィルスの落ち込みをゼロにしないといけない、という立場であれば理解できる。

実際にゼロコロナ政策を厳格に採用している国では、隔離を強制的に行うほか長い場合には3週間隔離するなど、徹底して行っている。日本の国民世論としてはこれを求めているのだろうし、こうすれば問題が解決すると考えているのではないか。

しかし、現時点で境界内でゼロコロナが実現できていない場合、事情は全く変わってくる。この場合には外部からの流入を阻止するための方策に加えて、境界内に存在するコロナウィルスを撲滅するための措置が必要になるからである。

このためには、陽性者および陽性者のまわり、そして陽性者が高い確率で存在すると考えられるグループ(グループP)を、陽性者がいないことが確認されている、あるいは非常に高い精度で陽性者がいないことが期待できるグループ(グループN)を分離する必要がある。

コロナウィルスは、海外からもちこまれるものであっても、国内にすでに存在するものであっても、同じ種類の株であれば、感染の仕方に違いはないだろう。海外から持ち込まれるウィルスはゼロにしないといけないけれど、国内に既にあるウィルスは感染源になっても構わない、という道理はないのだから、おのずと対応策は共通にならざるを得ない。

従って境界線は、国内と国外に加えて、グループPとグループNの間にも必要になり、グループPに属する人たちが、グループNに属する人たちと接するためには、水際検疫と同じレベルでの対応をすることが必要になるのである。実際には、これを行おうとすると、強制的なロックダウンと、集中的なテストの組み合わせ以外の対策がない。

中国はかなり強引な都市封鎖を行っていると聞くし、香港やオーストラリア、ニュージーランドなどもコロナ感染者が少数だっても、期間を限定する代わり、強力なロックダウンを行うことで、ゼロコロナ政策を現実のものとしている。

ゼロコロナ政策には二つのアキレス腱がある。

第一に、境界内に存在するコロナウィルスの数が一定数を超えると、強制力を持った相当に強権的なロックダウンを、行なったり、集団免疫に近い体制を確立するなど、再生産係数が極めて小さい状況を数か月といったスパンで維持しないといけなくなることだ。これは、現実にはとても高いハードルである。

第二に、域内でゼロコロナを実現できたとしても、グローバルにみてコロナの撲滅にはほぼ遠い状況を考えると、長期にわたって国境をまたぐ人の往来を抑制する必要がでてくることだ。1年程度持ちこたえられたとしても、3年、5年といった期間にわたってこうした状況を維持し続けることには相当の困難とコストが伴う。

一方で、いざ国境を開放する段になると、必ずコロナウィルスが入ってくることになり、ゼロコロナを放棄せざるを得ない。ゼロコロナに成功している国ほど、ワクチンに対する抵抗感が高いことを考えると、このタイミングでコロナが広がることは想像にかたくない。従って治療薬ができるなど、根本的に状況をかえる要素がでてこない限り、ゼロコロナ政策は問題の先送りにしかすぎない可能性がある。

ゼロコロナ政策が成功するための必要条件として、

  • 国土を地理的に確立しやすく、経済活動などの面で見ても、国境を閉ざすことに耐えられる。
  • 人口が少なく、検査の徹底などがしやすい。
  • 国内にコロナが侵入した後(これはほぼ確実に起こる)、大幅な私権制限を伴う強制的なロックダウンや、検査の徹底などを行うことができる。

などがあげられる。

Withコロナの方法論

ウィズコロナ政策にあたっては、コロナウィルスの悪影響としてどの程度のインパクトを受け入れるか、を決める必要がある。例えば、許容できる最大の死者数、医療システムのキャパシティからみた許容可能な重症者数、あうりは経済活動を円に行う上で許容できる感染者数、などがコントロールの対象とする変数の候補になりうる。

ウィズコロナは積極的な選択肢ではなく、ゼロコロナ政策に失敗し国内にウィルスが広まってしまった後の対症療法ともいえる。ウィズコロナ政策ににおいては、コロナをコントロールするための様々な手法がもたらす副作用やコストと、その手法によって得られる政策効果のつり合いを考える必要がある。

「患者数は少なければ少ないほどよい。」というのは理想論としてはあるけれど、こおうしたゼロコロナ政策の延長では、政策の費用対効果を冷静に評価することができない。従って、何をターゲットにし、どの程度まで許容できるのか、が明確になっていなければならない。その上で、目指す効果を得るために何が効率的かを、道徳的価値判断などを交えずに評価する必要があるだろう。

また、ゼロコロナは境界線の防衛をのぞけば短距離走だが、ウィズコロナは延々と続くマラソンのようなものだ。従って、人間のメンタルも含めて持続可能性のない政策は成功しえないことも肝に銘じる必要がある。

日本の立ち位置

日本はゼロコロナ政策の必要条件を満たしていないし、仮に条件を満たしていたとしても、国内に一定程度の感染者が広がった時点でゼロコロナ政策は破綻している点をまず直視すべきだ。

オリンピックへの反対論が盛り上がっていたけれど、こと陽性者の比率に関して言えば、来日前に複数回の検査をし、来日後も毎日PCR検査を受けているオリンピック選手・関係者の陽性者率は、同時期の東京都民の(真の)陽性者率よりも少なかったはずだし、実際にテストの陽性率はオリンピック関係者の方が圧倒的に低かった。このことは、すでに入国検疫など国外からの持ち込みを議論する段階ではなく、国内に既に存在するウィルスとどう向き合っていくかを考える段階にいることを如実に表している。

ウィズコロナ政策に明確に舵をきるとすれば、今のように感染者数に一喜一憂するよりも、より重要な政策目標は何かを考える必要がある。重症になる人がいるといても数が少ない20代の感染者と、60代、70代の感染者では意味が違うはずだ。コロナが広がることが問題なのではなく、その結果として死者がでたり、社会がとまったりすることが問題なのだとすれば、おのずと見るべき変数もかわってくるだろう。

以前、歌舞伎町のホストクラブがクラスターの発生源としてやり玉にあげられたことがある。あるいは、現在進行中のアルコール提供の自粛要請なども、ゼロコロナを目指すのであれば、こうした場所も含めて(感染源となりうる場所はすべて)規制し営業停止にしようとすることは理解できる。一方で、ある程度の数を許容しつつコントロールしていくことを考えたると、これらが本当に主要な感染源なのか、データに基づいて評価するべきだろう。

現在のウィズコロナ政策は、人の動きを止めたり、自粛を促すことに偏っているけれど、すでにコロナ禍が始まって以来1年半になろうとしている。ワクチンも大事だけれど、同時により構造的な対応も求められる。特に、医療機関のキャパシティを抜本的に拡大する仕組みづくりは喫緊の課題だ。

医療従事者には先行してワクチンをうっているけれど、医療従事者の中で実際にコロナ患者の治療に従事している人の割合はどれだけいるのだろうか?業務の集中する一部の病院・医師・看護師などの奮闘ぶりが目に付くけれど、重要なのはシステムとしてどう対応するかということだ。もし、多くの医療のリソースがコロナが2類という分類がなされたことで使われないでいることが原因なのであれば、5類に変更するなども検討に値する。

2021年8月現在、人口あたりでみて、コロナによる死者の数はアメリカが日本の10倍だけれど、アメリカでは医療機関が逼迫するからロックダウン、という話にはならない。むしろ積極的に経済を再開していく方向に舵をきっている。10倍の死者を受け入れろというつもりはないけれど、日本よりもアメリカにおいてコロナの重症者を受け入れる病床数が圧倒的に多いのは事実だ。

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